大昔に書いた、シオンムウです。
色々直したいところを抑え、手を加えず昔の文のまま。
お誕生日ものです。














二人分の夕飯はもうすっかり冷めてしまった。
そんなことはいつものことだったけれども、今日は、今日だけは、なんとしても先に食事を済ませて眠ってしまうわけには行かなかった。
…日にちが変わるまでに帰ってくるだろうか。
ムウは食卓に頬杖をつき、テーブルの真中に飾った紫色の小さな花をぼんやりと見つめた。
昼間、こっそり下の市場に出かけて、なけなしの金で買った花だ。子供だと思って馬鹿にされたのかもしれない、渡した金のわりにはあまり質のいい花とはいえないものだった。
元来、シオンは金を館に置いておく事はほとんどしなかったし、あったとしても子供のムウの知るところではない。
簡単な治癒能力はシオンのみならずムウにも備わっていたし、薬草の知識もあったから医者の心配をすることもなく。
食料にしても、気付けばいつも館には、贅沢品はないが二人が食べていけるだけのぶんはあったと思う。時折小銭を渡され、ほんの少しの果物やタバコを買ってくるように言われて市場に行く以外、ムウが金を触ることはなかった。それでも、その時に余った小さなコインをお駄賃にもらったことが何度かあったせいで、ムウは“自分のお金”を、わずかながら持っていたのだ。それを今日は全部使って、ムウは花を買った。

シオンの帰りはいつも遅かった。
教皇であったからそれは当然と言えば当然だし、物心ついた時からいつもそうだったから、ムウもこんなことには慣れている。
早朝に特訓をし、ほんのまれに時間があれば昼に一度戻ってくるシオンに、午前中に練習していた聖衣の修復を見てもらい、夜更けに師が帰ってくるまでに、体力つくりやら技の鍛錬やら、修復術のおさらいをしておく。夕食を用意して、シオンが帰ろうと帰るまいと、日付が変わる一時間前までには、必ず寝ること。
それが二人の間に築かれた、暗黙の了解の日課だった。
当然それを破れば厳しい仕置きが待っていた。
以前など、稽古に疲れてうっかり眠ってしまっていたところにシオンが帰り、けれども与えられていた課題を消化していなかったせいで、派手に頬を殴られたこともある。
言い訳は一切聞かない。ムウも、言い訳をするつもりもなかった。
ただ、師のいい付けが守れなかった自分が悔しくて、謝罪の言葉を述べようと口を開きかけた途端に、平手が飛んできた。


時計に目をやると、時間は23時を半刻も過ぎていた。
「いつ帰ってくるのかな。」
湯気を立てることをとっくにやめた、冷えた夕食を軽く見渡して、ムウはぽつりとつぶやいた。
寝なければ怒られることはわかっていた。けれども、ムウはどうしても眠ることができなかった。

―――聖域まで行けばよかったのかもしれない。

ムウは今更ながらそんなことに気付いて、ふと眉根を寄せた。
教皇という立場上、弟子のムウといえども執務中にはそう易々と面会はできないが、それでも粘れば会えたかもしれない。赤の他人に、先にこの特別な日を祝われるより、怒られても昼食を持って聖域を訪れればよかったと、ムウは唇をかんだ。
それとも師の小宇宙に呼びかければ、返答してくれるだろうか。
それも一瞬考えたが、多分それはシオンが最も嫌がる事の一つに思えた。
過酷な訓練の果てに命の危険を自覚するような時でさえ、師の小宇宙に呼びかけるようなことは恥ずべきことだということを、暗黙のうちにシオンから教わったからだ。
にもかかわらず、早く帰ってきてくれと、そんなことを言おうものなら、あの赤い瞳は一体どんなに冷ややに自分を見下ろすか、
それを考えただけでもムウはぞっとした。


「………。」
テーブルに突っ伏す小さな背中を見つけ、シオンは軽く眉をあげた。
時計に目をやれば、もうあと数分で日付が変わろうという時間だ、本来ならばとっくに全て片付け、寝ていなければならないというのに。
それなのに、テーブルには夕食が並べられたままだった。しかも、箸をつけた形跡も無い。心なしかいつもより綺麗に盛り付けられた料理が数品。一緒に、酒の瓶とグラスが置いてある。かなり以前にシオンとふたり館の地下室を整理していたときに思いがけずみつけたもので、シオンもすっかり忘れていたが、それはずっと昔に聖域の祭典の席で振舞われ気に入って持ち帰った、極上酒だった。こうして暗い地下倉庫からようやく引き上げられたのだが、そのまま放置していつのまにかまた行方をくらましていた。それが、ムウがどこかに保管していたからだったのかと、シオンはそう合点しながら、眠る弟子の背中を見つめる。
硬いヒールの音を石床に刻んで、うとうとする小さな弟子に近づくと、彼はそっと弟子の髪に指を触れる。
その瞬間、ほとんど反射的にムウは飛び起きた。
そして目の前に師の姿を見つけ、素早く何度も瞬きをすると即座に頭を下げる。
「お帰りなさい、シオン。」
師の次の行動を考えれば、緊張して声が上ずってしまうのも当然だった。夜更かしして明日の生活に支障をきたすようなら言語道断、さして言い訳にもならない理由なら、殴られたとしてもおかしくない。
そんなムウの様子を密かにうかがいながら、卓上に小さく咲く花に目を止めたシオンは、ムウにチラリと視線を投げた。
照れたようなあいまいな笑みを浮かべ、ムウはぎこちなく微笑む。
「花……飾りたかったんです、今日、どうしても。」
「今日?」
「今日はシオンのお誕生日でしょう。待っていたかったんです。シオンと一緒にどうしても夕飯を食べたかったから……。言いつけを破ってごめんなさい。」
小さな弟子の瞳は、いつ飛んでくるかわからぬ師の手のひらへの恐怖と、ひそかに熱望していたように日付が変わる前に彼が戻ってきたことへの喜びとの間に揺れていた。師のわずかな目の動きにも敏感に反応し、そのたびに小宇宙が緊張に揺れるのが分かるほどだ。
そんな様子に、シオンは心の中でふと苦笑いを作る。
加減が過ぎるほど厳しくしつけ、接してきたのはシオンの意図したところだが、こんなにもあからさまに怯えられたのでは、さすがにわずかな罪悪さえ感じてしまう。
自分を慕い誕生日を祝おうとする幼い弟子を、それでも叱る師が、どこにいるというのか。
「そうだったか。ならば腹が空いているのだろう?…食事の用意を。」
師の波動が穏やかになったことを察し、ムウはぱっと顔を輝かせる。
「はい!」
「ムウ」
ふいに呼び止められて、ムウは師を振り仰ぐ。
「……はい?」
「美しいな。紫の花弁が。」
シオンは少し身をかがめて、そっと花に触れた。
「だってシオンは紫色が好きだって言っていたから…」
「そうか。」
シオンは無表情の顔にほんの少しの笑みを刻むと、目の前の小さな弟子の髪をくしゃりとなでた。
少し伸びた前髪をすき上げ、ムウの紫の瞳を見つめる。
「お前の髪と瞳の色だ、淡い、紫色。」
髪をなでた大きな手のひらが、そのまま弟子の白い頬を包んだ。
そしてシオンは赤い瞳を細める。
「紫は高貴を示す色。―――気高い人間になるがいい。どんなものにも屈せず、真実を見つめることのできる人間になれ。」
「シオン」
「お前ならばできる。私がいうのだから、間違いなどあろうはずがない。」
断言する師は、思わず見とれてしまうほど力強く、凛としていて。
こんな人のいちばん近くにいて、いちばん期待され必要とされているのが自分だと思うと、誇らしくて仕方ない。
そんな気持ちが一気にこみ上げて、自分中で急速に膨れ上がった。
「はい。」
伸ばした手が師の広い肩をようやく触ると、すぐに不思議な深い芳香の立ち込める法衣の腕に抱き上げられた。
次いで額に唇を押し当てられ、その感触に、ムウはうっとりと目を瞑る。
「お誕生日おめでとう…」
時計の針が今日の終わりを告げるまでに言っておきたかった言葉。かすれる声を紡いだ唇を、師のそれが塞いだ。
いつもは決して例外など認めず厳しいばかりの師が、本当は誰より自分を大切に思ってくれているのだということを噛み締められる瞬間だった。この時だけは。教皇でありアリエスであり修復師である彼が、ただ一人きりの、自分のシオンになる瞬間だった。
それがあまりに幸せだったから。

――色濃くなっていく暗い未来の予感にも、今はただ、見えぬふりをしていたかった。










「不思議なことにあの花はなかなか枯れなかったんですよ。あまり質の良くない、安い切花だったのにね。」
あの日と同じ花を質素なかびんにいけて、同じようにテーブルの中央に置く。
「ああ、こんなに暖かいとすぐ開いてダメになってしまうかもしれないな。あそこの花は今も昔も、やっぱりあまり良くないから。」
窓から差し込む光から位置をずらすようにして花瓶をテーブルの真ん中から外しながら、ムウは呟きつづける。
「子ども心に…支えられてましたよ。花が枯れなければ、運命も途切れたりしないだろうなんてね…そんなことを思っていた。毎日水を取り替えて、いっしょうけんめい、話し掛けて。とうとうあなたが戻らなくなってからも、毎日ね……」
弟子の独り言を半分まどろみの中で聞きながら、シオンはそっと微笑む。
「……昔のことだ。」
返答が返ってきたことに何となく安心しながら、ムウもまた微笑する。
「そう、昔の……」
ふと背後のソファを振り返る。
窓からさんさんと降り注ぐ光の中で、今は自分よりも年若い姿をした師が、静かな寝息を立てていた。
「おやおや」
近寄って、肩掛けのショールを外すとそれをそっとかけてやる。
「こんなところで、眩しいでしょうに………。……あぁ、本当にいい天気だ。」

開けはなたれた窓から、穏やかな風が、花の香りを含んで部屋に舞い込んだ。


外はすっかり、生命の芽吹く季節になっていた。










<Fin>





2004年の羊誕あたりに書いたお話。拙いお目汚し、失礼しました。
うちのシオンは、ルールを破ったり泣き言言ったりに凄く厳しい。
シオンは自分の死をわかっていたから、自分が消えてしまう時にムウ様が打ちのめされないように、
自分に感情移入しすぎないように…と思って日頃は少し突き放してた設定。
…思いっきり、失敗してるんですけど笑


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